期間工から弁護士を目指す男の孤軍奮闘記

法律と情熱で人知れず苦しむ弱い立場の人を救いたい。

ざっと済みたり。

いろいろ落ち着いたので、今日から勉強を再開した。やっぱ、先行きが分かると勉強に集中できるね(*'ω'*)ちょっと、細かいところまで詰めすぎたかもしれない。

 

 

徳川家康は戦の計画を立てる時、熟慮に熟慮を重ね、かつ家臣たちの意見をよく訊いたという。そうして計画の骨格となる部分が完成した時に、

 

「ざっと済みたり」(一通りできたぜ!)

 

と言ったという。後の細部は部下に任せればよい。大局観というやつかな。

 

一方で、関ヶ原の戦いで家康に敗れた石田三成の場合は違った。計画を細部まで詰めていくタイプだ。いわゆる完璧主義だ。理想主義者といってもいい。

 

結果としてどちらが勝ったかは諸君のご存じのとおりである。家康に大局観があったから勝ったと言いたいわけではない。三成にも常人を上回る広い視野があったと思われる。秀吉配下の頃、朝鮮出兵で官僚として何十万の兵の兵站を担当していたわけだし。

 

個人的には、家康が勝った一番の要因としては「人間に対する深い理解」だと思う。家康は関ケ原の前に、できるだけ多くの武将を味方につけるべく、彼らの人物を個々に見極めた。そして、ある者には戦後の報酬を約束し、ある者には義を説き、ある者には家を滅ぼすと脅した。

 

そして、多くの者は報酬=「利」に動いた。一方で、三成も味方を募った。その方法は「義」を説くことだった。しかし、多くの武将が利に動いた。

 

家康が深い人間理解に至ったのは、幼少期の経験があるのではないかと思う。家康は三河の弱小の当主の跡取りとして生まれる。家を存続させるため、隣国の強国、今川家の人質として幼少期を過ごす。人質から解放された後も武田信玄織田信長等の強国と対峙しなければならなかった。

 

家康が観ていたのは常に現実なのかもしれない。生き残るために。そこには正義や理想など糞ほど役に立たない。

 

 

 

家康の構想が具体化した江戸、明治…と進んで現在は令和である。足るを知る。理想を掲げない日本人の国民性は、家康の勝利によってもたらされたのかもしれない。もし、三成が勝っていたならば、日本はもっと違う形になっていたかも。

 

 

だけど、安心してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここに令和の三成(私)いますから!

(゚Д゚)ノはい

 

 

 

 

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